2007/11/10

EQUAL KONOE

日本の家柄ランキングなんてあるのか知りませんが、
トップはもちろん千代田区一丁目の「やんごとなき御一家」だとすれば
2位は…藤原家から改名した?(歴史にうといんでよくわかりません、笑)
五摂家筆頭である「近衛家」なんでしょうか?(ハテナばっかり、笑)
「昭和天皇の前で足を組んで話した」
「天皇との会見で彼のいすの背もたれだけ温かかった」
近衛家の当主「近衛文麿」のエピソードです。

近衛家の本家筋がどこに住んでいるのか、ボクの調査能力ではわかりません。
しかし荻窪に「荻外荘」という建物があり、現在でも近衛文麿のご次男が
住んでるそうです。ここは元総理「近衛文麿」の本宅らしくて、
さまざまな歴史を背負った場所のようです。
(文麿が青酸カリをあおったのもココ)
前置きが長いですが、この「荻外荘」が今回の魔方陣の主人公です。
この建物の半分が「昭和35年に敷地内へ移築された」そうです。
移築先は「天理教東京教区」

(このブログでは(怖くて)あんまり触れていませんが、
流行ってる新宗教は教団を超えて魔方陣で結びついてる疑いがあります。
ここでは追求しませんけど)


天理教の二代目と文麿が仲良かったので、ココに半分移したそうですが
1000年以上続く「公家の権化」と記紀神話と異なる創世神話を説いて
弾圧された「新しい神」
かなり意外な組み合わせですね。しかしその縁で天理東京の寮生宿舎として
現在も利用されてるようです(微妙に「雑な」扱いされてるような、笑)
「やんごとなき方」が明治に住んでた場所とは、誤差4.54%の二等辺三角形
吹上のお宅とは誤差0.656%、現在のお宅では誤差0.61%の
二等辺三角形になっています。ただし移築先の位置がはっきりしないので
東京教区の真ん中あたりから測量しています。面白いのは移築の次の年、
昭和36年に吹上のお宅が完成したという事実です。
東京教区がいつからここにあるのかもはっきりしませんが
・平成13年に東京教務支庁創立90周年。できたのは大正時代。
 でもその場所は不明
・東京寮は昭和21年ごろ開設
・昭和12年に文麿は荻窪にやってきた。
・戦争中やんごとなき方は吹上近くに住んでいた。
この魔方陣のイニシアチブがイマイチはっきりしません。
三者が協力するなんてまったくイメージ湧きませんけど…
でも近衛文麿の結婚式が当時の新興宗教だった「黒住教」で
行なわれたのを知ると…なにかあるのかな?なんて思っちゃいます。